イスラームにおける性的平等の概念(パート2/2):男女の実質的平等

イスラームは、男女間に存在するいくつかの身体的相違とは別に、彼らが神の御前において精神的に完全なる平等を享受すると認識しています。クルアーン(コーラン)とスンナ(預言者ムハンマドの言行集)は、来世における報奨や懲罰において、人の性は全く問われないことを明白に言明しています。

「われ(神)は、男であれ女であれ、あなた方の内の行う者の行為を無駄にはしない。あなた方はお互いに、同じ子孫なのである。」(クルアーン 3:195)

「男であれ女であれ、信仰者で善行を行う者は、天国に入るであろう。そして彼らは、いかなる不正を蒙ることもない。」(クルアーン 4:124)

「男であれ女であれ、善行を行う信仰者には、われら(神)がよい暮らしを送らせよう。そして彼らが行っていたものに対し、最良の報奨をもって報いよう。」(クルアーン 16:97)

悪事を行った者は、それと同様のものでもって報われる。そして男であれ女であれ、善行を行った信仰者は、天国に入るであろう。彼らはそこで、無限のお恵みを授けられるのだ。」(クルアーン40:40)

「実に、ムスリムの男女と信仰者の男女、従順な男女と真摯な男女、辛抱強い男女と畏れ深い男女、よく施す男女とよく斎戒する男女、貞節を固守する男女と神をよく想起する男女には、神が罪のお赦しと偉大なる報奨を授けられるであろう。」(クルアーン 33:35)

「人間よ、実にわれら(神)はあなた方を一組の男女から創った。そしてあなた方を多くの民族や部族に分け広げた。それはあなた方が互いに知り合わんがためなのである。実に神の御許で最も貴い者は、あなた方の内で最も敬神の念の強い者。アッラーは全てをご存知になり、全てに通暁されたお方。」(クルアーン 49:13)

こうしてイスラームは、男女が神の御前で平等な地位と価値を有すること、そして敬神の念こそが個人間に区別をつけるものであることを明瞭に宣言しているのです。

法的かつ実際的な側面において、一般的規則は男女の別なく同様に適用されます。また崇拝行為や、イスラーム的作法・行儀に関しても、男女の違いはありませんし、法的な刑罰に関しても同種のものが科せられます。しかし男女によって法規定が異なるケースも、数多く存在します。例えば女性は月経期間、斎戒(断食)と礼拝の義務を免除されます。また女性は自分自身を美しく装うことがその天性として備わっていることから、金や絹を身にまとうことを許されますが、男性にはそうすることが禁じられています。また金曜日の集団礼拝は男性には義務づけられていますが、女性に関しては任意の行為です。また男性は自らが扶養する家族にお金を費やさなければなりませんが、女性のお金は完全に彼女らの所有物であり、それを好きなように用いることが出来ます。また男性と女性の身体的様相が異なることから、衣類に関する条件も異なります。そしてこれら全ては、男性と女性の自然な相違を反映したものです。イスラームが最も些細な法学的問題においてでさえも、男女をそれぞれ固有の違いに応じて、そして実質的な平等に従って正義ゆえに扱うのは、こういうわけなのです。

結論として、イスラームは男性と女性絶対的な精神的平等を主張、神の御前において彼らに平等な地位を与えます。そして法学的問題においては、イスラームは男性と女性の実質的な平等を促進し、また各々に備わった独特の強さと能力を認め、両者の権利を保護しつつ適切な規定を与えているのです。