啓典

3.啓典

至高なるアッラーがその使徒らに、万世への印、生きる者への指針として啓典を下されたことを、我々は信ずる。それによって使徒たちが人々に英知を授け、彼らを清めるためである。また、至高なるアッラーの次の言葉により、彼がすべての使徒に啓典を授け給うたことを、我々は信ずる。

『我らは使徒を明証をもって遣わし、人々の間に正義を確立するために彼らに啓典と秤を授けた。』 (クルアーン第57章〔鉄〕25節)

これらの啓典のうちで我々が知るのは以下の諸書である。

(1) 律法(タウラー)

これは至高なるアッラーがムーサー(モーセ)-彼にアッラーの祝福と平安あれ-に下されたものであり、ユダヤ教徒にとって最も重要な啓典である。

『その(タウラ-の)中には導きと光明があり、アッラ-に帰依した預言者たちはそれによってユダヤ教徒を裁き、また聖職者や律法学者たちも保持するよう命じられたアッラ-の書によって(裁き)、その証人となった。』 (クルア-ン第5章〔食卓〕44節)

(2) 福音書(インジ-ル)

福音書は至高なるアッラーがイーサー(イエス)-彼にアッラーの祝福と平安あれ-に下されたものであり、ムーサーの律法を確証し、補完するものである。

『我らは彼(イーサー)に福音書を授けた。その中には導きと光明があり、それは以前に下した律法を確証するものであり、主を畏れる者への導きであり、訓戒である。』 (クルアーン第5章〔食卓」46節)

『汝らに禁じられていたものの一部を解禁するために・・・』(クルアーン第3章〔イムラーン家〕50節)

(3) 詩編(ザブール)

詩編は至高なるアッラーがダーウード(ダビデ)-彼にアッラーの祝福と平安あれ-に授けられたものである(クルアーン第4章〔婦人〕163節、17章〔夜の旅〕)55節) 。

(4) イブラーヒーム(アブラハム)とムーサー-彼ら両名に祝福と平安あれ-の書(クルアーン第87章〔至高者〕19節)

(5) 聖クルアーン

聖クルアーンは至高なるアッラーが預言者の封印ムハンマドに下されたものであり、『人々への導きであり、導きとフルカーン(正邪の基準)の明証』(クルアーン第2章〔雌牛〕185節)、『以前の啓典を確証し保全するもの』(クルアーン第5章〔食卓〕48節)なのである。

アッラーはクルアーンによって以前の啓典をすべて無効とされ、これを潮笑者の侮辱と改変者による歪曲から守護し給う。

『まことに訓戒を下し、またそれを護るのは我ら(アッラー)である。』(クルアーン第15章〔アル・ヒジュル19節〕

これは、クルアーンが復活の日に至るまで人類すべてに対する証しであり続けるためである。クルアーン以前の啓典は、それらを破棄し、そこに生じた歪曲や改変を明らかにする新たな啓典が啓示されるまでの間に限って有効であったに過ぎない。また、それだからこそ、それらは守護されることなく、歪曲や付加や削除を蒙ったのである。

『ユダヤ教徒の中には字句を改変した者がおり、…』 (クルアーン第4章〔婦人〕46節)

『己の手で啓典を捏造し、僅かな代償を得るために「これはアッラーの御許から下されたのだ。」と言う者に災いあれ。彼らの手の書いたもののために彼らに災いあれ。彼らの稼いだもののために彼らに災いあれ。』 (クルアーン第2章〔雌牛〕79節)

『言え。「ムーサーが齎した人類に対する光明と導きの啓典を下した者は誰か。お前たちはその一部を紙に書いて人に明かすが、多くは隠している。」』〈クルアーン第6章〔家畜〕91節〉

『彼ら(啓典の民)の中には自分の舌で啓典を歪曲し、啓典にないことを啓典の一部であるかのようにみせかけ、アッラーの御許から下されたのでないものをアッラーの御許から下されたと騙り、故意にアッラーに対して虚言をなす一派がある。アッラーから啓典と英知と預言者の使命を授けられた者は人々に対して「アッラーではなく、私に仕えよ。」などとは決して言いはしない。』 (クルアーン第3章〔イムラーン家〕78-79節)

『啓典の民よ。汝らの許へ我らの使徒が現れ、啓典について汝らの隠していたことの多くを明らかにした。-中略- 「アッラーとはマルヤム(マリヤ)の子イーサーである。」と言う者は確かに不信仰者である。』 (クルアーン第5章〔食卓〕15-17節)