夜の旅と昇天(6/6):帰還

預言者ムハンマドは、アル=ブラークに跨ってエルサレムの最も遠きマスジドまで飛び立ちました。彼は昇天して七天を超え、想像もつかないような奇跡を体験しました。彼は諸預言者と顔を合わせて挨拶を交わし、ついには神の御前に立ったのです。同じ夜、旅立ちから僅か数時間後には、彼はマッカに戻っていました。

この奇跡の旅は、預言者ムハンマドの敵にとって、彼とその追従者たちに対する格好の武器となり、同様に信仰者たちの信仰を試す試練となりました。彼は帰還すると、ウンム・アイマンのもとへ向かい、奇跡の旅について述べました。彼女の反応はこうでした。「神の使徒よ、このことは誰にも言ってはなりません。」ウンム・アイマンの預言者ムハンマドへの信頼は完全なものだったため、彼女はこの旅について信じましたが、他の人々がどう反応するかを恐れたのです。

預言者ムハンマドはウンム・アイマンについて、「私の母のような存在」であると述べています。彼女は彼の実母アーミナの忠実な女中で、彼女の死後も彼と留まりました。預言者ムハンマドとウンム・アイマンは常に懇意にしており、この奇跡の旅の後、彼はおそらく安息を求めてウンム・アイマンの家を訪れ、一連の奇跡について、そして次の動きについて考えていたのです。

預言者ムハンマドは、奇跡の夜について人々に打ち明けることを決心しました。彼はその反応や帰結がどうなろうと、神のメッセージを人々に伝える責任を感じていました。彼の神への信頼は不動のものでした。彼は厳かに家を出て、聖マスジドへ向かいました。その途中、彼は何人かと出会い、夜の旅についての知らせが人々の間に広まって行きました。

反応

預言者ムハンマドがマスジドで静かに座っていると、アブー・ジャハルが近づいてきて、無頓着にこう言いました。「ムハンマドよ、何か新しいことはないか?」イスラームの最大の敵の一人と見られていたアブー・ジャハルは、イスラーム初期におけるムスリムたちへの拷問、虐待、殺人、嫌がらせの数々を行なってきた張本人でした。預言者ムハンマドはアブー・ジャハルによる悪意と憎悪について承知していましたが、彼は正直にこう言いました。「昨夜、私はエルサレムへと旅をし、戻ってきたところだ。

笑いを堪え切れなかったアブー・ジャハルは、マッカの人々の前で同じことを言うよう求めました。預言者ムハンマドがそれに応じると、アブー・ジャハルは駆け足でマスジドを飛び出し、走りながら道端の人々に呼びかけていきました。マスジドに十分な数の人々が集まってくると、アブー・ジャハルに促され、預言者ムハンマドは皆に聞こえるようこう言いました。「私はエルサレムへ行って戻ってきた。」

人々の群衆は笑い出し、口笛を吹き、手を叩き合わせました。彼らはそれを壮大な冗談だと捉え、地面を笑い転げたのです。これはアブー・ジャハルのもくろみ通りに行き、彼をわくわくさせました。不信仰者の群衆はイスラームに止めを刺すことが出来る機会だと思ったのです。彼らは預言者ムハンマドの主張に嘲笑し、貶しました。群衆の中にはエルサレムへと旅行したことがある者がいたため、彼らは預言者ムハンマドが見たものを説明するよう求めました。

預言者は彼の旅について説明を始めましたが、それは彼を苛立たせました。彼がエルサレムで過ごした時間は僅かで、奇跡の旅そのもの以外のことは僅かな詳細しか覚えていなかったからです。しかしながら、預言者ムハンマドは神が「彼の目の前」に詳細を示し、彼が見た「石から石、レンガからレンガ」について説明しました。エルサレムに旅した者たちは彼の語った詳細が正確であると証言したのです。(サヒーフ・ブハーリー)

また他の伝承によれば、彼がマッカへと戻ってくる際、預言者ムハンマドはキャラバンの上を通り越したと述べています。彼はそれについての詳細を明確に述べました。キャラバンはラクダを見失っていたため、預言者ムハンマドは空からラクダがどこに居るかを彼らに告げたのです。彼はまた、彼らの水を飲んでいます。

マッカの人々はそのキャラバンが戻ってくる前に、直ちに昨夜の出来事について尋ねる使者を遣わしました。彼らは、ラクダの居場所を告げる奇妙な声が聞こえてきたこと、そしてその場にあった水が消えたことを確証しました。しかしこれらの証言さえも人々にとっては事足りないものでした。彼らは預言者の言葉を信じず、愚弄し嘲笑したのです。この奇跡の旅は、一部の新ムスリムでさえ不信仰に陥り、イスラーム信仰から背き去ることになる試練だったのです。

信仰の甘美さ

強く、真の信仰を持つ人々にとっては、神の御力は明らかでした。その話のすべてを信じ難いと受け取った人々は、預言者ムハンマドの最も良き友であり支持者でもあるアブー・バクルのもとを訪れました。彼らは預言者ムハンマドのエルサレムへの一夜にしての旅について彼が信じているかどうかを尋ねました。アブー・バクルは躊躇することなく、こう断言しました。「神の使徒がそう言ったのであれば、それは事実だ。」この出来事から、アブー・バクルは「アッ・スィッディーク(信仰者のさきがけ)」という敬称を得たのです。このことは、不信仰者たちによる身体的拷問や虐待を受け、さらにはこうした想像もつかないような概念を提示され、それを受け入れなければならなかったムスリムたちにとっての転機点でした。彼らの一部は失敗者となりましたが、多くは新たなる高みに到達し、唯一なる神への真の服従による信仰の甘美さを味わうことができたのです。

マッカの聖マスジドからエルサレムの最も遠きマスジドまでの一夜にしての旅と、諸天における昇天から全能なる神の御前に立ったことは、最後の預言者であるムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)以外のいかなる人間もそれまで授けられたことのなかった奇跡、そして大いなる栄誉だったのです。